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■日本の競馬界の未来を切り拓く獣医師(9)大井競馬場

2024-09-27 17:30 | 前の記事 | 次の記事

写真1:TCK(大井競馬場)の外観風景

写真2:鈴木真結子先生(右は筆者)

写真3A:馬用救急車/3B:トゥインクルレースの風景/3C:手術室/3D:「平日に、三冠を。Dirt Dream. TCK」ポスター(写真3A~Dの画像提供:東京シティ競馬)

記事提供:動物医療発明研究会

インタビュアー・構成・執筆 伊藤 隆

動物医療発明研究会 広報部長/獣医師

JVM NEWSに日本の競馬界を支える獣医師を紹介しています。

第1回目から4回目までは日本中央競馬会(以下JRA)に勤務の獣医師、5回目は日本の競馬界に貢献した生産者のひとつである社台ファームの獣医師、6回目は帯広のばんえい競馬場内にある合同会社アテナ統合獣医ケアBan'ei競走馬診療所の代表獣医師、7回目は全国的な規模で展開している乗馬クラブクレインの馬を診療している有限会社大和高原動物診療所の関東診療所に勤務の獣医師のインタビュー記事を掲載しました。第8回目は視点を海外に移し、麻布大学卒業後単身ドイツに渡り、馬の臨床獣医師として活躍されている佐藤俊介先生を取り上げました。

第9回目は地方競馬を注目し、年間開催日数が約100日と他の地方競馬と比べて多い「東京シティ競馬(TCK)」の愛称で親しまれている大井競馬場を訪問し(写真1)、特別区競馬組合に勤務されている獣医師の鈴木真結子先生(写真2)にお話をうかがいました。

(取材日:2024年7月24日)

Q1.大井競馬場での診療業務の概要と鈴木先生の目からみた大井競馬場の魅力を教えてください。

私は、大井競馬を主催する特別区競馬組合の競馬事務局、厩舎管理課、厩舎管理係に勤務する獣医師です。特別区とは東京都の23区をさし、公務員として採用され日々業務を行っています。

特別区競馬組合における獣医職員の業務は、開催業務と非開催業務の2種類に分けられます。

<開催業務>

(1)馬体検査

獣医委員として、装鞍所引付後から発走直前までにおいて、レース出走予定の競走馬の馬体に問題がないか確認します。問題があった場合は、出走の可否を判断する開催執務委員へ速やかに連絡します。また、レースから戻ってきた出走馬たちの外貌や歩様を視認し、鼻出血や跛行の有無を確認しています。

(2)事故馬対応

レース発走後からゴール入線までの間に何らかの理由で騎手が競走を中止した場合、現場まで車で駆けつけ、競走馬の状態を確認します。その後馬を馬用救急車(写真3A)に載せ、必要に応じて検査を行い、予後の判定をします。

(3)応急処置

レースに出走し重傷を負った競走馬には、調教師からの依頼に基づき検査を行い、必要に応じて金属製ギプスの装着等の応急処置を施します。

(4)傷害馬診断業務

馬主に支給している傷害馬見舞金の申請があったレース出走馬について、金額の算定のため、検査診断業務を行っています。各厩舎を車で往診し、必要に応じてレントゲン検査やエコー検査を行います。

(5)薬物検査

レースに出走した馬について、出走時に禁止及び規制薬物の影響下になかったかどうかを確認するため、検体採取所で尿または血液検体を採取し、競走馬理化学研究所に依頼し薬物検査を実施しています。

<非開催業務>

(1)在厩馬の防疫

大井競馬管理施設の在厩馬を伝染病から守るため、現在5種類の馬の感染症(馬インフルエンザ、破傷風、日本脳炎、ゲタウイルス感染症、馬鼻肺炎)のワクチンの定期接種を行っています。定期接種は獣医職員と開業獣医師が協力して行い、定期接種以外のタイミングでは組合職員が調教師に対し個別に接種を指示し、開業獣医師が依頼を受けて接種しています。

その他、飼養衛生管理基準(馬)を遵守した衛生管理を行っています。

(2)誘導馬診療

大井競馬場内に繫養されている誘導馬(競馬開催時、出走馬たちを下見所から馬場まで先導する仕事をする馬)の診療(外傷治療や整歯、疝痛治療、予防接種等)を行っています。

(3)薬物の取締り

薬物陽性馬の発生は競馬の公正性を根底から揺るがし、馬券を購入されるお客様からの信頼を失墜する重大な事案ですので、絶対にあってはなりません。そのため競馬開催の前には、開業獣医師からの診療報告に基づき、治療履歴の確認をしています。

また薬物陽性馬発生防止の観点上、重要な情報の収集及び関係者への共有や、適切な飼養管理が行われているかを確認するための厩舎巡回も定期的に行っています。

(4)その他

職員を対象とする研修の実施、学会・会議への参加、医薬品や医療器具、その他競馬関係消耗品の在庫管理、医療機器の導入・更新、入厩検査等を行っています。

大井競馬場の魅力は4つあります。

1つ目は、アクセスの良さです。東京モノレール「大井競馬場前」駅から徒歩2分、京浜急行「立会川」駅からは徒歩12分で、羽田空港からも、新幹線の止まる品川駅からもアクセスが良いです。

2つ目は、全国に先駆けて導入したナイター競馬「トゥインクルレース」です(写真3B)。夜空の下、照明やイルミネーションに照らされて幻想的な雰囲気の中で競馬をお楽しみいただけます。また冬季限定の「東京メガイルミ」も、毎年お客様から大変ご好評いただいているイルミネーションイベントとなっています。

3つ目は、世界で唯一両回りで競馬を施行していることです。大井競馬場はもともと右回りでレースを実施していたのですが、世界的に見るとダート競馬のビッグレースの多くが左回りで行われていることを踏まえ、2021年に左回りレースを導入しました。スターティングゲートや施設の改修など様々な対応が必要でしたが、そこにチャレンジしたことで、より多彩なレースをお客様にお届けできるようになりました。

4つ目は、獣医師として幅広い活躍ができる機会があることです。獣医業務としては防疫業務や薬物管理業務の他、競走馬の検査診断業務や誘導馬の診療業務があります。獣医業務以外でも、裁決業務(着順の確定、失格、降着、制裁、その他競馬の公正を害すべき行為の取り締まり等に関する事務)や発走業務などの競馬事業に関わる幅広い分野において獣医学的知識を生かせます。

Q2.大井競馬場内の競走馬の日常診療はされていないのですか?

そうです。大井競馬場内の馬の日常診療は、厩舎地区内で開業されている診療所の獣医師が診療されています。

Q3.大井競馬場内の厩舎にいる競走馬の頭数と開業されている獣医師の先生の数を教えてください。

競走馬の頭数は約700頭います。開業獣医師の数は総勢6名です。千葉県印西市にある小林牧場分厩舎ですと、競走馬が約250頭、開業獣医師は4名です。それぞれの診療所に所属する勤務医の先生もいます。

Q4.「Q1」で回答された業務の中で比率の高いのは何ですか?

比率の高い業務は、傷害馬診断業務です。月に約60~70頭が見舞金支給対象の馬となります。多い月は100頭近くになることもあります。

Q5.大井競馬場内の開業獣医師との連携を教えてください。

「Q1」で答えましたが、在厩馬の防疫等を協力して実施しています。また、特別区競馬組合所有の検査機器や手術室(写真3C)を貸すこともあります。

Q6.誘導馬とはどんな馬なのか、もう少し詳しく教えてください。

誘導馬とは、競馬場において競走が行われる際に、パドックや馬場において競走馬を先導する馬のことです。誘導馬の目的は、出走馬の隊列を先導する役割と、出走馬の精神を落ち着かせる役割もあります。現在、大井競馬場内には5頭の誘導馬がいます。

今では中央地方問わず全国の競馬場で誘導馬たちが活躍していますが、大井競馬場が日本で初めて誘導馬を導入しました。

Q7.誘導馬に必要な資質は何ですか?

様々な考えがありますが、私としては下記が最低限の資質のように感じています。

  • 人や馬に危害を加えないこと。
  • どんな刺激にも驚かず落ち着いていられること。
  • 人の指示に従順であること。
  • 競走馬から誘導馬への再調教に適応できること。

Q8.大井競馬場内のレース中の競走馬に多い怪我・疾患を教えてください。

腕節構成骨の剥離骨折、腱炎や靭帯炎、関節炎などが多い印象です。雨などにより、馬場コンディションが悪い時に怪我の発生が多くなる傾向があります。

Q9.レース中に起きた疾患の診断についてはどんな検査をされているのですか?

馬の歩様検査、触診、X線、エコーなどを用いて診断しています。

Q10.特別区競馬組合における獣医職員の数を教えてください。

獣医職員は10名在籍(内女性6名)しています。獣医業務の他、裁決や発走、決勝審判業務に従事し、また、外部団体に出向している職員もおり、幅広い分野で活躍しています。女性が多い職場です。

Q11.出向中の外部団体を具体的に教えてください。

現在は、地方競馬全国協会と関東地方公営競馬協議会とがあります。地方競馬全国協会とは、略称をNAR(the National Association of Racing)と言い、地方競馬の競走馬登録や調教師免許の交付・更新、その他地方競馬全体を管理・統括する業務を行っている団体です。関東地方公営競馬協議会とは、南関東にある浦和、船橋、大井、川崎の4つの地方競馬場の運営サポート(警備、競走、検体採取等)を行っている団体です。

Q12.大井競馬場の獣医師として就職をされた理由をお聞かせください。

大学2年生の終わりの春に受けた馬の授業をきっかけに、馬の獣医師を意識するようになりました。その後、JRAが主催する獣医学生向けの実習等に参加する中で、だんだんと馬の獣医になりたいと強く思うようになりました。そして就活する中でご縁があった特別区競馬組合に就職いたしました。

Q13.ご経験された中で印象深い出来事や残念だった出来事を教えてください。

  • 印象深い出来事
  •  詳細は後述いたしますが、大井所属馬のマンダリンヒーロー号が米国遠征し、サンタアニタパーク競馬場で開催されるサンタアニタダービー(GⅠ)に出走し2着と好走し、ケンタッキーダービー(GⅠ)にも出走が叶ったことが、入庁以来最も印象深い出来事でした。これをきっかけに、中央所属馬だけでなく地方所属馬もこの先さらに積極的にアメリカダートへ挑戦することで、日本のダートが盛り上がっていくと嬉しいです。
  • 残念だった出来事
  •  数年間、怪我の継続治療をしていた馬について、結果的に蹄葉炎の発症・進行を抑えることができず永眠させる決断に至った経験が、入庁以来最も悔しく無力を感じた出来事でした。

Q14.仕事のやりがいと大切にされていることを教えてください。

跛行の原因となる疾患を突き止められたときや、怪我で歩けなかった馬に応急処置を施して歩けるようになったときなど、馬が助かる方向にアシストできた瞬間にやりがいを感じます。

また私が大切にしていることは、何かを決断するときに、馬の側に立って考えることです。もちろん力が及ばないことも多々ありますが、競馬主催団体の一職員として、そして一獣医師として、馬が命懸けで走ってくれているからこそ競馬を運営できているということを決して忘れてはならないと考えています。

Q15.今後、チャレンジしたいことあるいは目指す目標は何ですか?

馬主さんに安心して愛馬を預託していただけるように、大井競馬場及び小林牧場で高度な獣医療を提供できる体制(ハード面とソフト面の両方)を整備することにチャレンジしたいと考えています。

Q16.競走馬の診療する上で参考とされている国内外の本や学術雑誌を教えてください。

  • 国内の書籍
  • 『馬臨床学』
  • 『新馬の医学書』
  • 『馬の解剖アトラス』
  • 海外の書籍
  • 『Equine Surgery』
  • 『The Equine Acute Abdomen』
  • 『Equine Internal Medicine』
  • 『Equine Anesthesia』
  • 『Atlas of Equine Ultrasonography』
  • 『Equine Wound Management』
  • 『Handbook of Equine Radiography』

Q17.馬における歯科疾患をどのように考えていますか?

野生馬と人の飼養管理下にある競走馬や乗用馬では食餌の時間や内容が異なるため、咀嚼による歯の摩耗具合も異なります。そのため競走馬や乗用馬では、人の手による定期的なメンテナンスが必要となります。

メンテナンスが不適切だと歯の過長や変形を招き、それが咀嚼障害や消化不良につながって疝痛を引き起こしたり、ハミ受けに影響して問題行動や腰痛等を引き起こしたりするリスクが高くなります。

そのため、定期的なメンテナンスにより歯科疾患を予防し歯の健康を保つことは、人と同様、馬にとっても非常に重要であると考えています。

Q18.今後、大井競馬場において必要となる検査機器や動物用医薬品などの要望事項はありますか?

海外製品を入手するには時間がかかってしまうため、馬用フェニルブタゾン製剤や金属製ギプス、小型モニターと一体型の咽喉頭内視鏡などの国内製品があると嬉しいです。

Q19.他の地方競馬場との連携があるのでしょうか?

川崎競馬場、浦和競馬場、船橋競馬場と共に南関東4競馬場として、互いの競馬場を行き来しレースに出走することが可能であり、競馬に関するルール作りも4場で協議し足並みを揃えて進めています。

Q20.大井競馬場で特別区競馬組合の獣医職として就職を希望する獣医の学生さんにメッセージをお願いします。

学生時代には、年次の低いころから実習にできるだけたくさん行くと良いと思います。

馬に限らず様々な実習に参加することで獣医師の職域全体を具体的に把握でき、自分により合った職域を選びやすくなるからです。

また、馬を助けるためには自分1人だけだと何もできません。調教師さんや厩務員さんといった利害関係者とコミュニケーションをとり、協力を得られて初めて診療に取り組むことができるようになります。馬も他の動物同様に言葉を話さないため、しぐさや表情から気持ちを読み取れるようになる必要があります。したがって馬の獣医師は馬と人、両方との高いコミュニケーション能力が求められます。

コミュニケーション能力を高めるためには、学生のうちから学問に限らず様々な経験を積み、会話や発想の引き出しを増やすことや、何らかの形で馬と過ごす時間を増やし、馬の気持ちを読み取る練習をしておくことが役立つかもしれません。

Q21.国内外で行ってみたい馬の診療施設はありますか?

国内では、2つ行ってみたい施設があります。1つ目は社台ホースクリニックです。2番目は、NOSAIの日高支所家畜高度医療センターです。いずれも北海道にある馬の二次診療施設です。

海外ですと、米国のケンタッキー州レキシントンにあるルード&リドル馬診療所です。

Q22.地方競馬場で勤務されているお知り合いの獣医師を教えてください。

一般社団法人北海道軽種馬振興公社の廣瀬先生、岩手県競馬組合の新村先生、高知県競馬組合の劉先生がいます。いずれも主催者の獣医職員になります。

Q23.大井競馬場は海外の馬の施設と何か関係を結んでいますか?

大井競馬場は1995年に米国カリフォルニア州にあるサンタアニタパーク競馬場と友好交流提携を結び、友好交流の象徴として、大井競馬場ではサンタアニタトロフィー(SⅢ)を、サンタアニタパーク競馬場ではTOKYO CITY CUP(GⅢ)を開催しています。

2018年からは、北米クラシックの重要ステップレースであるサンタアニタダービー(GⅠ)について、サンタアニタパーク競馬場より大井所属馬の出走枠を最大2頭まで提供いただいています。昨年度はマンダリンヒーロー号が本制度を利用し、地方所属馬として初めてアメリカ遠征が実現しました。その結果、サンタアニタダービー(GⅠ)2着と大健闘し、さらにアメリカ三冠競走のケンタッキーダービー(GⅠ)にも参戦(12着)するなど、大いに注目を集めました。

Q24.集客の工夫を教えてください。

TCKの魅力や楽しさを広く伝えるため、毎年イメージキャラクターを起用し、テレビCMをはじめとした各種媒体でのプロモーションを展開しています。今年は3歳ダート三冠競走(羽田盃・東京ダービー・ジャパンダートクラシック)が始まる節目の年なので、「平日に、三冠を。Dirt Dream. TCK」(写真3D)というキャッチコピーを設定し、テレビCMの放映やポスター掲出等を実施しています。

Q25.特別区である東京23区に対して、どのような貢献をなされているのでしょうか?

競馬での売上金額の一部を23区に分配することで、各区の財政に貢献しています。

編集後記

今回、地方競馬の中で年間開催日数が約100日と他の地方競馬と比べて多い「東京シティ競馬(TCK)」の愛称で親しまれている大井競馬場を訪問し、特別区競馬組合に勤務されている公務員として採用されている獣医師の鈴木真結子先生にインタビューをいたしました。

先生の業務は、開催業務と非開催業務で異なる業務を対応する一方で、場内の開業獣医師と連携を取りながら、大井競馬管理施設の在厩馬を伝染病から守るため、現在5種類の馬の感染症(馬インフルエンザ、破傷風、日本脳炎、ゲタウイルス感染症、馬鼻肺炎)のワクチンの定期接種を行っていることは素晴らしいことです。

今後先生がチャレンジしたいこととして、馬主さんに安心して愛馬を預託していただけるように、大井競馬場及び小林牧場で高度な獣医療を提供できる体制(ハード面とソフト面の両方)を整備することにチャレンジしたいと考えていることは、とても志が高く、今後実現されることを期待します。

大井競馬場は、羽田空港や新幹線の東京駅や品川駅にも近いという利便性は大きなアピールポイントです。また、日本で初めて誘導馬を導入したり、全国に先駆けて導入したナイター競馬「トゥインクルレース」や毎年好評の冬季限定のイルミネーションイベントである「東京メガイルミ」を導入するなど、従来の競馬場の概念を変える、柔軟性のある新しい試みにチャレンジされている点は素晴らしいことです。

今後の大井競馬場の更なる進化を期待します。

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シリーズ「日本の競馬界の未来を切り拓く獣医師」