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■日本の競馬界の未来を切り拓く獣医師(3) JRA競走馬リハビリテーションセンター 前編

2024-02-27 16:38 | 前の記事 | 次の記事

日本中央競馬会 競走馬リハビリテーションセンター入口

左から 小平 和道所長、筆者、仁比大記先生

A:ウォーターウォーキングマシン/B:ウォーキングマシン/C:ウォータートレッドミル/D:ウォータートレッドミルの次の馬が入れるまでの待ち時間/E:高速トレッドミル/F: 調教馬場/G:スイミングプール全景/H:スイミングプールで練習中/I:気持ちよく温泉のシャワーを浴びている療養馬(A、B、E、F、G、H画像提供:JRA競走馬リハビリテーションセンター)

インタビュアー・構成・執筆 伊藤 隆

動物医療発明研究会 広報部長/獣医師

JVM NEWS として日本の競馬界を支える獣医師の先生方を紹介しています。

第1回目は競走馬のスポーツサイエンスを究め、競馬の発展と競走馬の未来に貢献して行く、日本中央競馬会(以下JRA)競走馬総合研究所、第2回目は日本の競馬を守る若き獣医師として、世界水準の先端医療を目指すJRA栗東トレーニング・センターの競走馬診療所のインタビュー記事を掲載しました。

第3回目の今回と次回第4回目は、世界にも類を見ない「馬の温泉療養所」である、福島県いわき市湯本のJRA競走馬リハビリテーションセンター(競走馬総合研究所常磐支所、写真1)所長の小平和道先生と診療防疫係長の仁比(ニヒ)大記先生にお話をうかがいました(写真2)。

Q1.競走馬リハビリテーションセンターの業務概要およびアピールポイントは何でしょうか?

競走馬リハビリテーションセンターには、現在15頭の現役競走馬(療養馬)、3頭の乗用馬、2頭のポニーがいます。獣医師2名、装蹄師1名を含むJRA職員と、厩務員6名が中心となって業務を行っています。

競走馬リハビリテーションセンターは、故障した馬を温泉療法により回復させること、また、温泉療法の効果に関する研究を行うことを目的とし、昭和38年(1963年5月)に設立されました。入所する競走馬の大半は屈腱炎や骨折等の運動器疾患罹患馬で、定期的に行われる獣医学的検査や装蹄療法、さらには競走馬としてのトレーニングに耐え得る体力を回復させるためのリハビリテーションをほぼ毎日実施しています。

アピールポイントは、世界にも類を見ない温泉による現役競走馬のリハビリテーションを実施していることです。

また、「不治の病」と言われ完治が難しいとされる屈腱炎に関して、日本に数少ない最新の機器UTC(ultrasound tissue characterization)を用いて検査を行い、療養馬の怪我の病態把握に関する調査・研究等を実施していることです。

当施設は、日曜日を除く午前8時から午後5時まで、一般の方が見学することができます。午前8時から11時頃までは、馬場およびウォータートレッドミル調教などの見学も可能です。

Q2.入所する馬の主な運動器疾患は何でしょうか?

現在入所している馬の内訳で言えば、1番多い疾患は浅屈腱炎(6頭)です。そのほかは、腕節構成骨の骨折(4頭)、靭帯炎(3頭)、近位種子骨骨折(2頭)です。

Q3.リハビリテーションメニューで使用する主な機器・施設と各特性を教えてください。

次の通りとなります。

  • ウォーターウォーキングマシン(写真3A)
  •  直径12.5m、水深約40cmの円形プール内を歩行させる機械。
  •  初期のリハビリや調教後のクーリングダウンに活用しています。
  • ウォーキングマシン(写真3B)
  •  馬を自動で運動させることができる機械。
  •  主にリハビリテーション前のウォーミングアップやリハビリテーション後のクーリングダウンとして利用します。怪我による休養で落ちた筋肉の回復や、リハビリテーション進度を上げるためのコンディション調整のために使用することもあります。
  • ウォータートレッドミル(写真3C・D)
  •  水中にベルトコンベアを備えた水深120cmの水槽(浮力によって下肢部の関節や腱への負担が約30%軽減される)。水の抵抗により筋の発達を促します。初期では常歩で使用し、中盤では速歩で使用します。水の浮力により負担が軽減されるため、球節や腕節の骨折や屈腱炎のリハビリテーションに適していると考えられています。馬場調教の前段階における歩行訓練に使用しています。
  • 高速トレッドミル(写真3E)
  •  馬用のランニングマシン(ベルトコンベア上で最大速度50km/hで走行が可能。走行面に傾斜をつけることも可能)。走行面に傾斜をつけることで運動負荷を増減することができるため、リハビリ進度に見合った運動負荷を設定することができます。JRA競走馬総合研究所で行った実験では、8%の傾斜をつけて9m/s(32.4km/h)の駈歩をさせると、浅指屈腱にかかる力は、平坦で駈歩させた場合に比べて平均75kg重(およそ1割)程度減少することが明らかになっています。このように傾斜をうまく使えば前肢にかかる力を増やすことなく、運動量を増やすことができます。騎乗者がいない状況を利点とすることができ、背・腰を痛めて騎乗調教を控えている馬に対して、騎乗者の負荷がかからない状態で調教ができます。高速運動が可能ですが、事故の極めて少ない安全なリハビリ機器です。
  • 調教馬場(写真3F)
  •  リハビリテーションの最終段階で騎乗調教を行う1周400mのダートコース。
  •  長期間休養した場合、鞍や人を背中に乗せることに違和感を示す馬も少なくないため、ゆっくり歩かせることから始めます。その後、患部の治癒状況に応じて、運動速度と走行距離を増し、最終的には20秒/ハロン前後の駈歩(かけあし)を1600~2000m行います(1ハロン:200m)。
  • 水泳トレーニング(写真3G・H)
  •  昭和50年(1975年)完成の日本で初めての馬用スイミングプール(導入にあたり米国のハリウッド競馬場のプールを参考にした。水深が3mあるので馬の脚は届かない。1周約40m。毎年5月下旬から10月中旬の間運用している)。
  •  地面に対する蹄の着地の衝撃がなく、患部に対する体重負荷もありません。水圧の影響で胸腔が圧迫される(肺が膨らみにくくなる)ため、低酸素下での運動と同じようなトレーニングになり、体力の維持・回復に良いとされています。リハビリテーションの初期から他のメニューと併用して実施することが可能です。水泳は、走路における運動と比較して酸素運搬系機能に対する負荷の大きい有酸素運動であることが特徴であり、体力の維持や調整に適した運動であると考えられます。水泳中の筋電図を記録したJRA競走馬総合研究所の成績によると、前肢筋では上腕頭筋と上腕三頭筋、後肢筋では中殿筋と半腱様筋の活動を示す筋放電量が、地上での歩行運動に比べて増加していることが確認されています。肢蹄への荷重はかからないため、下肢部に疾病を有する馬に対して非常に有用です。
  • 温泉(写真3I)
  •  湯本温泉の豊富な湯量と泉質を利用した温泉療養(4つのシャワーから温水が出て、馬体にあたる。同時に最大6頭収容可能)。
  •  温泉浴により副交感神経が亢進し、リラックス効果が得られることが明らかにされています。温泉浴は直接的に損傷部の治癒を促進するものではありませんが、調教のストレスから解放し、馬に精神的な落ち着きを与えることから、安全にリハビリメニューを実施するための重要な要素となっています。

Q4.JRA競走馬総合研究所の本所との連携テーマは何ですか?

浅屈腱炎の幹細胞移植治療による治療効果判定とUTCによる浅屈腱炎の予後判断です。

Q5.怪我をして入所してきた馬には、まずどのように接するのでしょうか。

安全なリハビリテーションを行うためには、運動負荷のコントロールが重要です。馬が勝手に走り出したり、人の指示に従わなかったりすると怪我の悪化や再発につながる恐れがあるため、入所した馬に対しては、人と馬との信頼関係を築くこと、そのうえで馬とコミュニケーションを取ることが大切になります。

Q6.リハビリテーションメニューを作成する上で考慮するポイントを教えてください。

競走馬の怪我は下肢部に発生することが多いため、下肢部にかかる荷重がポイントになります。

歩法(常歩、速歩、駈歩)、騎乗の有無により患部にかかる荷重は異なります。

先程述べたリハビリテーションメニューの特性と歩法別の肢にかかる垂直荷重を考慮し、患部にかかる負荷を少しずつ増加させることを基本として、リハビリ計画を作成します。

また、疾患の種類や重症度、馬の性格等も、リハビリテーションメニューを選択するうえで考慮します。

Q7.歩法別の垂直荷重について教えてください。

前肢1肢にかかる垂直荷重は、次の通りとなります。

  • 常歩:体重×68%
  • 速歩:体重×105.4%
  • 駈歩:体重×132.4%

Q8.各リハビリテーションメニューと前肢1肢にかかる垂直荷重の関係を教えてください。

体重が480kgの馬の場合、次のようになります。

  • 高速トレッドミル(8%の傾斜により前肢にかかる荷重が約1割軽減)
    • 常歩:480kg×68%=326kg
    • 速歩:480kg×105.4%=506kg
    • 駈歩:480kg×132.4%=636kg
  • ウォータートレッドミル(水深を肩関節レベルに設定した場合、浮力により約30%軽減。駐立時は480kg×0.7=336kg)
    • 常歩:336kg×68%=228kg
    • 速歩:336kg×105.4%=354kg
  • 水泳トレーニング
  • 四肢への負荷は無く0kg

Q9.馬に使用している温泉は人の温泉と同成分でしょうか、それとも調整や添加がなされているのでしょうか?湯本温泉の人での適応症を教えてください。

人と同成分です。温泉分析書別表では、人での一般的適応症は、筋肉または関節の慢性的な痛みまたはこわばり(関節リウマチ、変形性関節症、腰痛症、神経痛、五十肩、打撲、捻挫などの慢性期)、運動麻痺における筋肉のこわばり、自律神経不安症、ストレスによる諸症状(睡眠障害)です。

Q10.ここに開設した理由を教えてください。

ここは、今から61年前(1963年)に開設されました。

保管されている資料をみると、設置場所の選定には次の諸条件があったという記録があります。

  • 関東からの距離が比較的近く競走馬の輸送に便利な場所であること
  • 馬の伝染病の発生が無い清浄な場所であること
  • 気候が温暖で比較的安定していること
  • 温泉源の入手が容易で泉量が豊富であること
  • 運動器疾患に効果のある温泉の種類および泉質であること

Q11.入所してくる馬たちの平均滞在期間を教えてください。

重症度によりますが、浅屈腱炎だとおよそ8か月~10か月です。腕節の剥離骨折における骨片摘出術の後ですと4か月~5か月程度です。

Q12.リハビリテーションを受けた有名馬ベスト5を教えてください。

オグリキャップ、トウカイテイオー、テイエムオペラオー、デアリングタクト、ヒシミラクルです。

編集後記

今回、世界にも類を見ない「馬の温泉療養所」であるJRA競走馬リハビリテーションセンターを訪問しました。

リハビリテーションメニューを紹介しましたが、それぞれ特徴があり、競走馬の疾患の種類や重症度、馬の性格等を判断しながらオーダーメードでメニューを組まれている事に大変感動しました。

61年前、この場所を選定した当時のJRAの担当者の方々の先見の明には恐れ入ります。湯本温泉は、奈良時代に開湯したと伝わる温泉で、湯本温泉の中心地には温泉神社があり1300年の歴史があります。

次回の後編はリハビリテーションメニューを実施した後、どこまで回復しているかを判断する、検査機器の話題が中心です。

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