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■日本の競馬界の未来を切り拓く獣医師(2) JRA栗東トレーニング・センター

2023-12-11 13:56 | 前の記事 | 次の記事

日本中央競馬会 栗東トレーニングセンター。日本競馬史上初めて五冠馬となった名馬「シンザン号」の銅像がある。

女性獣医師の先生方。左から森本先生、藤澤先生、飯森先生(話し手)、筆者。

A:オーバーグラウンド内視鏡検査 / B:英国から日本に初導入した馬用立位MRI装置 / C:チーム制による馬の手術風景(画像提供:JRA栗東トレーニング・センター 競走馬診療所)

インタビュアー・構成・執筆 伊藤 隆

動物医療発明研究会 広報部長/獣医師

前回よりJVM NEWSとして日本の競馬界を支える獣医師の先生方を紹介しています。第1回目は、競走馬のスポーツサイエンスを究め、競馬の発展と競走馬の未来に貢献して行く、日本中央競馬会(以下JRA)競走馬総合研究所のインタビュー記事を掲載しました。

第2回目の今回は、日本の競馬を守る若き獣医師として、世界水準の先端医療を目指すJRA栗東トレーニング・センター(以下栗東トレセン、写真1)の競走馬診療所【通称:※馬診(うましん)】に勤務されている飯森麻衣先生(写真2)にお話をうかがいました。

※栗東トレセンの近くには、従業員や地域住民の為の病院もあり、これを人用の診療所で「人診(ひとしん)」と呼ぶのに対して、競走馬診療所を「馬診(うましん)」と呼んで区別しています。

Q1.栗東トレセンの競走馬診療所の主な業務とアピールポイントを教えて下さい。

競走馬診療所の主な業務は5つあります。1番目は「馬の各種疾病の診断・治療」、2番目は「馬インフルエンザなどの伝染病の発生予防・蔓延防止」、3番目は「出走の適否・コンディション判定」、4番目は「薬物規制」、5番目は「事故防止」です。このような様々な業務を通じて、競走馬の健康管理と競馬の公正確保に貢献してきました。

アピールポイントは、24時間体制でチーム制による診療を実施していること、そしてさまざまな診断機器を活用してより高度な獣医医療を提供していることです。栗東トレセンには常時約2000頭が在厩し、競馬を目指して調教されており、約30名の獣医師が交代で深夜や早朝の急患にも対応できる体制を整えています。また、設置している高度診断機器は3つあります。

1つ目は上気道疾患の診断機器のオーバーグラウンド内視鏡です(写真3A)。オーバーグラウンド内視鏡検査は、競走馬に内視鏡を装着した状態で調教を実施します。走行中の喉の状態を詳細に観察することができるため、安静時の内視鏡検査では発見できなかった、異常呼吸音やプアパフォーマンスの原因が特定できます。

2つ目は馬用立位MRI装置です。英国製で国内初の馬用立位MRI装置(写真3B)となります。この装置により、これまで診断が難しかった下肢部の軟部組織や蹄内部の損傷および骨損傷の早期診断が可能となりました。この装置を導入するにあたり、競走馬診療所の獣医師が海外研修に行き操作方法やMRI画像の読影を学び、2013年から検査を開始しています。

3つ目はO-armで、CT機能とナビゲーションシステムを持ち合わせている機器です。撮影した画像を利用して、使用している器具の先端が患者のどの位置にあるかを手術中に確認することができるのが、ナビゲーションシステムです。この装置を5年前に導入したことにより、安全でより精度の高い手術の実施が可能となりました。

 

Q2.競走馬診療所には管理課、診療課、検査課、防疫課の4課がありますが、それぞれの課の役割を教えて下さい。また、診療課以外は、馬の診療を実施しないのでしょうか?

まず診療課員以外の管理課、検査課、防疫課員も馬の診療に携わっています。各課の役割は以下の通りです。

管理課は、診療所設備・機器の保守管理、備品・薬品・器材の調達管理、医療情報の管理、診療費の請求事務などを実施しています。

診療課は、各種疾病の診断・治療、診断・治療に関する調査・研究、一般装蹄および装蹄療法、装蹄技術に関する応用研究を実施しています。

検査課は、各種検査(臨床・病理検査等)、コンディション判定・調教審査、薬物規制、新規薬剤および検査法の導入を実施しています。

防疫課は、入厩検疫、定期検査・予防接種、消毒・害虫駆除、輸出検疫関連業務を実施しています。

Q3.競走馬診療所の平常時と競馬開催時の業務の違いを教えて下さい。

基本的には、平常時はトレセンでの競走馬の診療または、手術(写真3C)がメインとなります。また、入厩検疫での個体照合・健康チェック・ワクチン接種などの防疫に関する仕事もあります。競馬開催時は、装蹄所での馬体検査や馬体照合、レース中に馬が怪我をした時の救護や応急処置、ドーピング検査のための検体採取などがあります。

Q4.競走馬診療所に勤務される獣医師の人数とその内の女性獣医師の先生の数を教えて下さい。

獣医師は30名おり、そのうち女性は7名で、4分の1ほどです。

Q5.馬の診療において女性ならではということがありますか?

一般的に男性の獣医師よりも女性の獣医師は力むことなく馬に接する為なのか、馬も神経質にならず、穏やかに診療ができるのではないかと思います。

Q6.診療頭数、発生頭数を教えて下さい。

2022年の実頭数として、診療頭数は25,332頭で、発生頭数は17,918頭でした。

Q7.どのような疾患が多いのでしょうか?

運動器疾患が最も多く全診療馬の34.34%を占め、以下創傷16.56%、消化器疾患13.62%、皮膚疾患9.69%、呼吸器疾患7.68%の順です。

Q8.新しい診断方法として骨シンチグラフイーの導入がJRA内で検討されているとのことですが、現況を教えてください。

骨シンチグラフィーを導入することにより、他の既存の検査機器では検査が難しい体幹付近の骨疾患への応用が期待されます。現在、2名の所員がドイツの骨シンチグラフィーを実施している診療所で長期研修しています。2026年度の運用開始を目指しています。

Q9.最も多い運動器疾患を診断する上で、X線、立位MRI、超音波診断、UTC、骨シンチグラフイーなどの診断機器をどう使い分けているのでしょうか?

主に以下のような使い分けをしています。

  • X線検査:骨疾患を疑う場合
  • 超音波診断:腱・靭帯疾患を疑う場合
  • UTC(Ultrasound Tissue Characterization):腱・靭帯疾患
    • 腱・靭帯の線維束や太さを3次元的に解析することで、損傷の程度や修復過程を詳細に評価できる装置
  • 立位MRI:骨、腱・靭帯疾患
    • 特に他の診断機器では診断が難しい蹄内部の損傷や、骨折の早期診断に利用
  • O-arm:骨疾患
    • CT機能とナビゲーションシステム(上述)の機能を持ち合わす
  • 骨シンチグラフィー:骨疾患
    • 他の検査機器では検査が難しい、体幹付近の骨疾患検査に応用できる

Q10.手術件数とその内訳を教えて下さい。

競走馬診療所の2022年の総手術件数は285件です。その内訳は、骨片摘出術180件、螺子固定術34件、消化器12件、上部気道手術20件、去勢術23件、その他16件です。

Q11.飯森先生のご経験のなかで印象深い出来事や残念だった出来事を教えて下さい。

2年間福島県いわき市にある競走馬リハビリテーションセンターに勤務したことが強く印象に残っています。リハビリテーションセンターは、リハビリ専門の施設で、ウォータートレッドミル、トレッドミル、温泉などを利用してリハビリを行います。病気がある程度良くなり、通常の牧場で調教が可能になるまでお預かりします。長いと1年以上、検査を定期的にしながら慎重にリハビリを進めていきます。無事に競走復帰できた時は、本当に嬉しいです。しかし、長い間リハビリしても、競走復帰できない時もあり、すごく悔しい思い出もあります。

Q12.競走馬総合研究所と連携した取り組みを教えてください。

競走馬総合研究所とは毎年いくつかの連携テーマを設定し、共同で研究に取り組んでいます。本年度は、2つのテーマを設定しました。1つ目は、心房細動の治療に用いられるキニジンの血中濃度の測定であり、2つ目は、全身麻酔剤であるプロポフォールの血中濃度の測定です。

Q13.飯森先生が今後、チャレンジしたいことや目標は何ですか?

今後は、手術と画像分野での専門性を高めていきたいと思っています。手術成功のためには、術前の全身状態の確認はもちろんですが、術前の画像検査で正確な損傷の範囲や病態を把握することが必要となります。そのため、どの検査機器でどのように評価するかがとても大切となります。検査機器の特性を理解し、必要な検査を行える獣医師になりたいと思っています。

Q14.栗東トレセンの競走馬診療所で現在問題となっている課題を教えて下さい。

医療カルテの電子化を進めています。治療歴および検査画像を含めた医療情報を集約し、業務の効率化を図っています。

Q15.競走馬の診療する上で参考とされている国内外の本や学術誌を教えて下さい。今後、翻訳を希望される本はありますか?

現在の第一翻訳希望は『Equine Emergencies and Critical Care Medicine』です。

Q16.検査機器、検査器具、動物用医薬品において、あるいは動物用医療機器メーカーに関して何か要望がありますか?

馬用の検査機器や特殊な動物用医療器具は海外製品が多いため、入手までに時間がかかります。さらにメンテナンスがスムーズにいかないことがあったり、時差等のため問合せへの返答にも時間がかかることが多いです。日本製の製品があれば嬉しいです。

Q17.競走馬診療所の先生方は、どんな国に研修に行かれるのでしょうか?

何処の国に研修に行くかというよりも、自分が研究あるいは究明したい病気に関する権威の先生の所に研修に行きます。また、動物用医療機器の海外製品の導入になると、その販売メーカーの本国に使用方法を学びに行くこともあります。

Q18.動物用医療機器導入に伴う研修期間はどれくらいなのでしょうか?

概ね1か月間程度です。

Q19.先生方の研究テーマへの取り組み状況を教えて下さい。

約半数以上の所員は、毎年研究計画を立案し、年度末に進捗状況や結果を報告しています。結果がまとまった研究に関しては、JRA主催の調査・研究発表会や他の学会で発表しています。

研究テーマは、大きく2つに分かれます。

ひとつは、栗東トレセンの競走馬診療所において必要な研究です。もうひとつは、それぞれ自分がやりたいことをテーマとして取り組むものです。何れも臨床の課題や問題点が研究テーマとなることが多いです。

Q20.個人で取り組む研究は、自由にテーマが選べるように感じられますが?

個人の意思を尊重する部分が大きく、かなり自由度はあると思います。

Q21.飯森先生は出産を経験されていますが、育児しながらの職場環境はいかがでしょうか?

2022年12月に出産し、翌年7月に職場に復帰しました。チーム医療体制を敷いていますが、深夜や早朝の当番を外す等の対応をチームがとってくれています。優しい職場だと思います。

Q22.ここ最近、新卒の獣医師が競走馬診療所に入会されていますが、手術の執刀ができるくらいまでの腕前になるにはどのくらいかかりますか?

一概に言えませんが、まず一般診療の経験を2~3年間積み、その後に幅を広げていき、入会から5~6年後には独り立ちできると思います。

Q23.JRAの獣医職を希望する学生に対してメッセージ、学生時代に実施すべきことへのアドバイスなどをお願いします。

インターンシップを実施しています。獣医大学の4年生~5年生が主に参加しており、期間は1週間ほどです。競走馬の疾病・JRA獣医師の役割等の講義、往診帯同、手術見学といった内容です。インターンシップは1年を通して受け入れ可能です。

また、インターンシップ期間の食事の際に、職場の雰囲気や業務についてなど、いろいろな相談にのっています。馬に慣れ親しんだことがない方、競馬を知らない方も歓迎しています。

馬の獣医師には、競走馬のほか、乗馬、繁殖、育成等の職場もあります。学生時代にいろいろな分野を実際に見学することで、自分に合った職場を見つけることが大切だと思います。

編集後記

「日本の競馬界の未来を切り拓く獣医師」の第2回目として、滋賀県の日本中央競馬会 栗東トレーニング・センター 競走馬診療所を訪問しました。

競走馬においては、高度な医療設備で医療と変わらない治療法が実施されていることを痛感しました。また、立位MRIなど高度の診療機器だけでなく、チーム医療体制による手術など、万全の体制で日々治療を行っている獣医師の先生方の熱い思いが取材を通じてひしひしと感じ取れました。

このような最高の技術や熱意をもって診療される獣医師の力が結集して、世界水準の先端医療に到達した結果、海外においても日本の競走馬が活躍できているのでしょう。

取材に快く応じていただいた飯森麻衣先生は、子育てをしながら勤務されており、JRAへの女性進出が進んでいることと、子育て中の職場環境が整備されていることがわかりました。

競走馬診療所は女性獣医師の比率も比較的高く、JRAは働きやすい職場として、女性の獣医学生の就職先にお薦めであります。

今後、現役競走馬のリハビリテーションを専門とする日本で唯一の施設である「競走馬リハビリテーションセンター(福島県いわき市)」の取材の機会を得たいものです。

動物医療発明研究会は、会員を募集しています。入会を希望される方は、「動物医療発明研究会」まで。

シリーズ「日本の競馬界の未来を切り拓く獣医師」