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■日本の競馬界の未来を切り拓く獣医師(6)合同会社 アテナ統合獣医ケアBan'ei競走馬診療所

2024-05-20 18:15 | 前の記事 | 次の記事

1A:左から 福本奈津子先生、筆者、柴田真琴先生/1B:ばんえい競馬場 障害の風景/1C:ばん馬とサラブレットの体格比較(画像A~C提供:ばんえい十勝)

2A:アテナ統合獣医ケアBan,ei競走馬診療所の入口/2B:電機鍼で治療中/2C:ばん馬の脚を挙上させて診療(画像A~C提供:ばんえい十勝)

3A:裂蹄を治療後「ばんえい記念」に出場し疾走しているメジロゴーリキ/3B:mont-bell特注のお洒落なユニフォーム(画像A・B提供:ばんえい十勝)

インタビュアー・構成・執筆 伊藤 隆

動物医療発明研究会 広報部長/獣医師

JVM NEWSに日本の競馬界を支える獣医師の先生方を紹介しています。

第1回目から4回目までは、日本中央競馬会(以下JRA)に勤務されている獣医師の先生にインタビューを行いました。5回目は、数々の育成名馬を輩出し、日本の競馬界に貢献した生産者のひとつである社台ファームの獣医師の先生にインタビューを行いました。

今回は、帯広のばんえい競馬場内にある合同会社 アテナ統合獣医ケアBan'ei競走馬診療所の代表獣医師 福本奈津子先生(写真1A)にお話をうかがいました。

なお、インタビュー終了後、場内をばんえい競馬場の広報担当の中村香代子様に案内された時に、広報担当の方から回答をもらったものは「広報」と記載しました。

(取材日:2024年3月28日)

Q1.国内外唯一の帯広ばんえい競馬場の概要について教えて下さい。

ばん馬の飼育頭数は、833頭です(2024年4月時点)、調教師は27名、厩務員は150名、(その内外国人厩務員が36名)、装蹄師は6名、騎手は21名です(2024年3月時点)。

ばんえい競馬出場できる年齢は、出走申込馬の資格規定により、2歳以上11歳未満となります。

ばん馬の曳くソリの重さは、何も積まない空ソリは450kgです。レースはクラスによって重量が決まりますが、古馬で600kgから800kgほどのソリの重量になります。さらに、騎手の体重(77kg定量)を積みます。

ばんえい競馬は、一般的な競馬と違い、直線200m、幅1.8mのセパレートコース(全10コース)でスピードとパワーを競います(写真1B)。

また、ばんえい競馬のドーピング検査はレース後となりますが、レース前には個体照合や歩行や馬体に異常ないかなどの検査を行う馬体検査を実施します。検査はレース後に2着までの馬を対象に実施します。ドーピング検査の基準や禁止、規制薬物は、地方競馬と同様の取り扱いとなっています。

サラブレットのG1レースに該当するものとして、3月に行われる「ばんえい記念」が格式が一番高いBG1(ばんえいグレード)として大一番のレースになります。ここで引くソリの重量は最大1000kgです「広報」。

Q2.ばん馬のルーツは「どさんこ」ですか?

ばん馬のルーツは、「どさんこ」だと思われがちですが、ルーツはフランスやベルギーが原産で、「ペルシュロン種」「ブルトン種」「ベルジャン種」などの交配により、北海道の気候風土・力量・機動性などに適応するように改良された農耕馬として進化し、その後日本輓系種になりました。

今では優秀な種の混血馬が多く、実際の大きさとは逆に愛らしい顔立ちや性格がファンの間で愛されています。

ばん馬の体重はサラブレットとの約2倍で、体格もサラブレットと比べるとひとまわり大きく、ガッシリしています(写真1C)。ばん馬は大きいですが、気性がおとなしくてやさしい馬が多いです「広報」。

Q3.先生が、ばん馬の診療所を開設することになったきっかけを教えて下さい。

帯広畜産大学卒業後、農林水産省に勤務し、結婚後夫の転勤で十勝地方に参りました。家畜改良センター十勝牧場に勤務していました。家畜改良センター十勝牧場ではブルトン種、ペルシュロン種という輓馬(重種馬)を生産しており、診療業務に携わっておりました。私はそこで馬の診療が面白くなり、ばんえい競馬場に勤務するようになりました。

当時牛を診療する獣医師は多かったですが、馬を見る獣医師は少なく、さらに、ばん馬を見る獣医師は限られていたのでトライしたいと思いました。令和元年(2019年)に診療所を開設しました(写真2A)。

Q4.アテナ統合獣医ケアBan'ei競走馬診療所の名前の由来を教えて下さい。

アテナは、ゼウスの娘で知恵と戦術を司るギリシャ神話の女神であり、学業や戦勝、手工業や建築の守護神です。アテナの名前の由来の通り、知恵と戦略を用いて、馬を診療する女性の獣医師として頑張って行きたいという思いでこの名前にしました。

Q5.アテナ統合獣医ケアBan'ei競走馬診療所の統合医療とはどういう意味ですか?

統合医療とは、近代西洋医学と相補(補完)・代替療法や伝統医学等とを組み合わせて行う療法であり、多種多様なものが存在します。治療の選択肢のひとつとして鍼灸で治療するケースも多いです(写真2B)

Q6.アテナ統合獣医ケアBan'ei競走馬診療所の従業員数を教えて下さい。

現在3名います。獣医師は、私と昨年、帯広畜産大学を卒業した柴田真琴先生です。もう一人は診療アシスタントの山下実和子さんで、全員女性です。

Q7.ばん馬の主な疾患は何ですか?

1番多いのが蹄の疾患(砂上り、蹄叉腐乱、蹄葉炎、裂蹄など)です。ばんえい競走馬は、重いソリを曳くために体重を重く維持しているので肢に負担がかかります。2番目に多いのは消化器の病気です。馬の体は腸が長く、吐き戻しができない特徴があるので疝痛を起こしてしまうと生命の危機に陥ります。3番目は、心房細動が多いです。

Q8.サラブレットなどの競走馬と比較して、ばん馬特有の疾患や診療上の難しさはありますか?

ばん馬特有の病気としてサラブレットと比較して、体重の割合に関して心臓が小さいので、後肢の浮腫になりやすいことです。

また、診療上の難しさとしては体重が1トン近くある中で肢を挙上させることです。サラブレットと違い、肢を挙上することを訓練されていないので、蹄の治療をする時は一苦労です(写真2C)。

Q9.1日のばん馬の診療頭数はどのくらいですか?また季節的な変動はありますか?

1日45頭前後です。一番忙しいのは7月末から10月頃で1日90頭という日もあります。

Q10.統合医療のひとつの治療法として鍼灸治療がありますが、どのような目的に使用されていますか?

パフォーマンスの向上を目的とするので、レース前に治療して、少しでも良い成績になるようにメンテナンスをしています。

また食欲不振時や喘鳴症や鶏肢などの神経系疾患などの治療にも用います。

Q11.先生がご経験された中で嬉しかったこと、残念だったことは何ですか?

嬉しかったことは、ばんえい競馬では一番大きいレースであるばんえい記念(3月に開催)に出場したメジロゴーリキが裂蹄の治療を継続しながら重賞を何度も勝利し、最終的にはばんえい記念を2度も優勝したことです。(写真3A)。

残念だったことは、輓馬は疝痛での開腹手術で救命することが非常に難しいことです。

Q12.馬における歯科疾患をどのように考えていますか?

馬において歯の疾患はとても重要だと考えております。実際、開業以来積極的に歯科治療を行った結果、ばんえい競馬場内で、疝痛が減少しているというデータがあります。まさしく「歯はいのち」です。

もうすぐフランス製のデンタル内視鏡が届くので診療に使用して行く予定です。

Q13.馬の歯科疾患ではどなたかにアドバイスや相談することはありますか?

馬の歯医者(せりの馬診療所)を開業されている伊藤桃子先生に相談することがあります。

Q14.先生がばん馬の診療をされる時に参考にされているものは何かありますか?

家畜改良センター十勝牧場で馬の診療に携わることになった当時は、海外書を含め教科書を頼りにしていました。

また、馬以外の動物について実施した診療が役に立つのではないかと思い、試みたことがあります。

Q15.先生がばん馬の診療で参考になされている本は何ですか?

ばんばの診療でというと、専門書はほぼ皆無ですので、他の先生方と同様に、馬の専門書(海外書)を買い漁って、必要な分野のものを随時勉強しています。これ一冊というのではありません。急性腹症、外科学、画像診断学、救急、外傷治療、歯科、昔は小児科や産科も勉強しています。

Q16.具体的にどんな動物を参考に馬の診療に取り入れたのでしょうか?

めん羊での駆虫対策(めん羊における線虫コントロール戦略Refusia取り組み事例)において平成29年度に日本産業動物獣医学会北海道地区学会長賞をいただきました。

この賞をいただいた当時、日本の馬の世界ではまだ駆虫対策については正しい情報が入っていませんでした。

駆虫対策については、私は他の馬医者よりも先駆的に情報を理解していたため、疝痛対策には役立てることができたと思っています。

Q17.地域との連携はありますか?例えば帯広畜産大学とはありますか?

帯広畜産大学とは、馬の二次診療所として連携があり、馬の手術ではお世話になっています。

Q18.先生が今後チャレンジしたいことはありますか?

昨年度より、柴田真琴先生がメンバーに加わったことにより、自分ひとりでは手が回らずお断りしていたり、プラスアルファでやりたいけれどもできなかったことが徐々にできるようになってきました。今後はさらに一歩踏み込んだ治療をどんどんやって行く予定です。まずはデンタル内視鏡を使いこなして歯科治療をもっといろいろやっていきたいと思います。また、柴田先生への獣医診療の技術を伝授することです。

もう一つの大きな夢は、蹄葉炎などの長期療養が必要なばんえい競走馬が安心してリハビリを行ったり、引退馬がゆったりとした余生を送れるような場所を提供したいということです。そのために必要なシステムづくりを行えないかと思案中です。

Q19.アテナ統合診療所は、従業員が全員女性ですが、その強みは何ですか?

私も子供が2人いますが、特に新馬(2歳)などは子供をあやすように、3人の女性がなだめすかしながら馬を診療の柵に誘導し、なるべくストレスのないように誘導することが強みではないかと思います。

Q20.先生方が着用している診療ユニフォームが素敵ですがどうされたのですか?

mont-bellにオーダーメイドしたものです。色違いでオレンジ、ブルーがあります。

ばんえい競馬のばん馬と医療の神様であるアスクレピオスの杖が入った特製のものです(写真3B)。

Q21.今後ばん馬の診療において必要となる検査機器や、検査器具、動物用医薬品などの要望事項はありますか?

大きく2つあります。

1番目は、ばん馬は体重が1トン近いため、輸液をする時にものすごい量が必要となります。

現在使用している点滴セットだと口径が小さいので、三方活栓を組み込んで使用しています。口径が大きく早く点滴ができる点滴セットを要望します。

2番目は、感染症治療の際に抗生物質でコアキシン注射用(成分名:セファロチンナトリウム)を使用しますが、ばん馬に使用する場合に1回の投与量で10本必要となります。

注射液を準備するだけでも大変な労力であり、さらに接種をするので、高濃度製剤のものや持続性の注射剤などにより、投与回数が軽減できる動物用医薬品の開発を要望します。

Q22.ばん馬の診療に興味をもたれている獣医大生についてメッセージやアドバイスをお願いします。

診療所の見学はいつでもできるので希望される方はいらして下さい。

また、診療をする上で、厩務員や調教師さんや装蹄師さんとのコミュニケーションも重要となると思うのでコミュニケーションを心掛けることは重要かと思います。

編集後記

今回は、帯広ばんえい競馬場内にある合同会社アテナ統合獣医ケアBan'ei競走馬診療所の代表獣医師 福本奈津子先生にインタビューを行いました。過去JRAの施設や社台ファームへの取材でサラブレットのことを紹介しましたが、今回の取材で、ばん馬はサラブレットとは体格や病気も異なることがよくわかりました。

また、帯広のばんえい競馬は、体重1トンを超える馬が重りをのせた鉄ソリを引いて直線コースで力とスピードを競う、世界でたったひとつのばんえい競馬です。北海道開拓時代の農耕馬が現代のレースへ受け継がれ、今では北海道遺産として人々に感動を与えています。私も取材を通して感動しました。

柴田真琴先生も2年目を迎え、さらに一歩踏み込んだ治療や長期療養が必要なばんえい競走馬が安心してリハビリを行ったり、引退馬がゆったりとした余生を送れるような場所の確立に向けて、期待します。さらなるご活躍を祈念します。

シリーズ「日本の競馬界の未来を切り拓く獣医師」