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■【寄稿】髙井伸二先生のモンゴルだより(5) モンゴルの獣医学教育

2025-01-15 17:14 | 前の記事 | 次の記事

表1

写真1・写真2

写真3・写真4

モンゴルの獣医学教育と獣医師養成の支援事業で、現在、ウランバートルに派遣されている北里大学名誉教授の髙井伸二先生にプロジェクトのことやモンゴルの獣医事情などの紹介をいただきます。2~3か月のインターバルでの掲載を予定しています。(編集部)

獣医学科のカリキュラム

  • モンゴル生命科学大学獣医学部・JICAオフィス
  • 髙井伸二(北里大学名誉教授)

1.モンゴルの猫

書き出しから余談となる。前回、モンゴルの人々はあまり猫を好まないと書いたが、その理由のお尋ねがあった。

モンゴルの古い言い伝えに「犬は、主人が病気をした時に回復を願うが、猫は死を願う」という話があるそうだ。遊牧民は1年に何度か、良い草を求めて家畜と一緒にゲル(移動式住居)も移動する。犬は番犬として役に立つが、猫はこの移動に連れて行くのが難しい動物だったのでは?というのが、こちらで伺った話である。

それでは、猫はどこに居たのかと聞くと、寺院で飼育されていて、また猫が良く飼育されている所はヘビが棲息する地域だそうである。ネズミよけは勿論であるが、ヘビも捕ってくれるので猫を飼っているとのことである。昔は、何か役に立たないと飼って貰えない環境にあったのではないであろうか。

現在では、ウランバートル市内に限らず、地方都市においても猫の飼育頭数は増えている。附属動物病院への猫の来院数増加は前回お伝えした通り。岩合光昭の世界ネコ歩きでも「国立公園に暮らす~モンゴル~」が2019年11月に放送され、ここではテレルジ国立公園の観光用宿泊施設に住む猫が紹介されていた。

ここまで書いて、裏取りのためにモンゴルの猫に関する社会学的な論文を検した。探せばあるものだ。Baasanjav Terbish (2023) The cat in Mongolian society: a good, bad and ugly animal (モンゴル社会における猫:良い面、悪い面、醜い面を持つ動物:髙井訳)という総説は、歴史的、政治的、社会的背景からモンゴルにおける猫の立場を解説している。私が聞いた話は断片的だったが、この論文で猫が嫌われる背景が良く分かる。興味のある方はご一読を。

2.獣医学科は2学期制で、1学期は16週

前回、獣医学部は8週間が一区切りの4学期制と紹介したが、現在は16週の2学期制に変更されていた。獣医学部の卒業式は2024年5月20日に、国立モンゴル生命科学大学全体での入学式は9月1日に挙行された。余談であるが、大学の入学式は新入生全員を収容できる施設がないため、外で実施される(写真1)。これは大学に限らず、隣の第32番学校も急激な児童・生徒数の増加で、学校の玄関前の広場で入学式が実施されている(写真2)。降雨の少ない国なので、このような行事も雨の心配はしないのだろう。

第1学期は9月1日から始まり、12月20日までの16週間と12月23日(月)からの試験週間からなり、その後に冬休み。第2学期は1月末から5月までの16週とその後試験週間となり、1年間の教育カレンダーが終了する。6月から8月末までの約3ヶ月間は長い夏休みで、獣医学部のキャンパスに静寂が訪れる。

夏休みは教員も学生・生徒・児童も、都会の喧騒から逃れて、父母・親族の住んでいる田舎に帰省する。夏休み期間のウランバートル市内の道路事情は、通学の児童生徒の送迎車がなくなることで、朝夕の交通渋滞が激減する。

3.獣医学科のカリキュラム

獣医学科の新カリキュラムは2014~2020年に展開された獣医学部教育改善プロジェクトによって策定され、シラバスもそれに沿って記載され、小冊子として当時の新1年生に配布された(前回号に写真)。新カリキュラムの第1期学生は2024年5月に卒業した。

表1に、学年と学期の配当科目を示す。獣医学科の主要科目は90分授業16回の講義2単位と、180分8回の実習1単位の3単位で構成されている。

主要科目である解剖学、生理学、薬理学、微生物学などは低学年で、半期に講義・実習3単位が配当されている。5年制と6年制教育の違いがあるが、例えば解剖学関連科目を比較すると日本(東京大学)では講義10単位、実習6単位が配当されているが、モンゴルでは講義5単位、実習3単位と教育時間は半分である。他の主要科目もほぼ同様の単位数で、特に臨床系科目が外科、内科、繁殖学等の単位数は日本の4年制教育の配当数と同じ位という印象である。

モンゴルの獣医学科の卒業要件は必修57科目139単位、選択5科目13単位以上の合計152単位以上で、日本の場合は6年制で、大学によって多少の違いもあるが、183~200単位が卒業要件となっている。

モンゴルでは1年間の配当単位数は30単位、半期では15単位が標準である。時間割に埋め込むと、3単位科目が5科目程度で、講義は90分授業が週5回、180分実習は2週間に5回という配置となる。時間割表に落とすと、かなり余裕がある。実は、これには必然の理由がある。それについては次回に、詳しく説明する。

4.教科書は図書館で借りるもの

モンゴルの初等中等教育(義務教育)は公立であれば無料である。日本の場合、教科書が無償配布されるが、モンゴルでは、第2回でも書いたと思うが、公立学校で使用する教科書は児童・生徒に貸与され、学年終了時に返却する。

つまり、教科書は毎年使い回される。従って、教科書にマーカーで印することや落書きは厳禁で、学年の終わりには教科書を綺麗にして学校に返す。余談だが、近年、モンゴルでは私立小中高校が数多く設置され、多くがインターナショナルスクールで、英語教育を中心に差別化(教育格差)が進んでいる。

大学においても、学生が教科書を購入するという習慣はない。図書館には古いロシア語やモンゴル語の教科書があり、これを学生は借りて勉強するのである。パワーポイントを使って授業を行う先生もいるが、それを紙媒体或いは電子媒体で学生に配布されることはなく、ひたすら、学生は自分のノートに黒板に書かれた内容を書き写している。

2014~2020年の獣医学教育改善プロジェクトでは、モンゴル語教科書の作成までには至らなかった。そこで、欧米の獣医学教育で利用されている有名な教科書を各科目30冊前後購入し、図書館に揃えた。更に、モンゴル語の訳を付けた視聴覚教材も開発された。

日本の獣医学生に英語の教科書で勉強しなさいと言っても、それはちょっとハードルが高いし、日本語の教科書が揃っているので、学部教育においては英語の教科書に対する差し迫った必要性は薄い。モンゴルの学生の場合も、英語の教科書を使って学習する環境には至っていない。従って、図書館には綺麗なままで、英語の獣医学教科書が鎮座している(写真4)。例外的に(?)、『Clinical Veterinary Microbiology』という教科書は、ウイルス、細菌、真菌などの電子顕微鏡写真、コロニーの写真、グラム染色などの写真、感染動物の病変などのマクロ・ミクロの写真が充実しているので、実習室に置いて、参考書として利用されていた。

5.モデルコアカリキュラム準拠教科書のモンゴル語への翻訳

モンゴルの獣医師養成機関は、モンゴル生命科学大学獣医学部の1校である。現在の専任教員数は37~38人で、この組織で教育研究診療を担っている。さらに、モンゴル語の最新教科書の作成を望むのは、ほぼ無理な注文であろう。

私共のプロジェクトでは、日本のモデルコアカリキュラム準拠教科書のモンゴル語翻訳を獣医学部教員に提案することを考えた。その意を強くしたきっかけは、北海道大学獣医学研究科大学院博士課程で学位取得後に、現在、こちらの基礎系講座で組織学を教えているソルモン先生からモデルコアカリキュラム準拠『獣医組織学 第9版』をモンゴル語に翻訳したいとの申し出があったことによる。

そこで2024年9月に帯広畜産大学で開催された全国大学獣医学関係者協議会において、JICAによるモンゴルにおける獣医学教育プロジェクトの紹介と、モデルコアカリキュラム準拠教科書のモンゴル語翻訳へ協力依頼をお願いした。

その後、モンゴル側の教員から要請のあった科目(組織学、感染症学、生理学、生化学)について、それぞれの教科書編集委員会宛に個別に依頼し、出版社と関係者から御高配を賜り、モンゴル語教科書への翻訳が始まった。機械翻訳可能な領域と一筋縄では行かない領域があり、モンゴル語翻訳の大きな課題の一つは、科学・獣医学専門用語(日本語・英語)に対応するモンゴル語の専門用語が揃っていないことであろう。

2014~2020年の獣医学教育改善プロジェクトで日本語-英語-モンゴル語の獣医学学術用語集が作成されたことは幸いであったが、残念ながら、この用語集の語彙数では獣医学の基礎から臨床に至る広範囲の専門用語にはまだ十分に対応できていない。専門用語の追加補充による蒙英和・和英蒙の獣医学用語集改訂も重要な課題である。

参考論文

シリーズ「髙井伸二先生のモンゴルだより」