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■家族とペットの防災対策 平井潤子先生が講演を行う

2025-01-23 17:04 | 前の記事 | 次の記事

講演中の平井潤子先生。長年務めた東京都獣医師会事務局長を2024年10月に退職され、現在は同会の災害担当の顧問を務めている。

NPO法人アナイス 理事長の平井潤子先生が、2024年12月20日、一般社団法人ペットフード協会のプレス発表会(参照:JVM NEWS 2025-01-07「犬の飼育頭数の下げ幅が縮小「2024年全国犬猫飼育実態調査」発表」)で、「家族とペットの防災対策」のテーマで講演を行った。

平井先生は、2000年の三宅島噴火災害をきっかけに、NPO法人アナイスを設立。災害発生時には、国や自治体と連携した現地救援本部が実施する被災動物救護活動に従事するほか、被災地に赴き現地情報を収集。それらを分析し、発信する活動に取り組んでいる。環境省「人とペットの災害対策ガイドライン」の編集や、動物防災対策に係るアドバイザーとして国、自治体等の広域支援訓練等に参加するなど、ペットの防災に関する第一人者である。

当日は、災害発生時のペットとの同行避難、家族とペットの防災対策などについて話した。

まずは、2024年1月1日に起こった能登半島地震での状況を概説した。金沢の被害が多くなく、公益社団法人石川県獣医師会や金沢市内の動物病院が無事で被災と支援が分離していたことが、2016年の熊本地震での状況と異なる面であった。しかし、道路寸断の影響は大きく、現地の動物対策本部、公益社団法人日本獣医師会、環境省の連携および後方支援する各団体との連絡はスムーズにできたが、その先に進むことが困難であった。安心して住める場所の確保ができない状況が続き、ペットと暮らすために長く車中泊を続ける家族もいた。

次いで防災対策のことを解説した。日本に住む以上、災害は避けられず、防災対策は必須。防災対策意識調査で避難所の場所を把握しているのは、犬の飼い主で2割未満、猫の飼い主で1割程度であった。

普段の飼育の延長で可能な対策は、犬・猫とも「トイレ用品の用意」「ペットフードの備蓄」、加えて犬では「リード・ハーネスの用意」、猫では「キャリーバッグ・ケージの用意」となる。ただし、外に出ないで初めての場所に行く機会のない猫の場合は、自宅避難(在宅避難)を考えておくべき。それを想定した備えが必要である。

大災害で都市が被災した場合は、救護活動の開始が遅れる可能性があり、ペットの救護はさらに時間がかかるだろう。飼い主の自助、飼い主同士や近隣の共助が問われる。ペットを災害から守るための備えは、「1週間のペットフードの備え」「ペットシーツやキャリーバッグ」「ペットの避難セット」、そして生き残るための住宅対策が必要である。平井先生は、「我が家の災害対策」も紹介した。在宅避難を目指して室内の対策強化をを行い、1か月以上のフード、水、猫トイレ用砂を備蓄しているとのこと。

避難所での生活のことにも触れた。まず、避難所に人があふれることを想定し、避難所以外の避難先を複数用意しておくとよい。動物病院、ペットショップ、ペットホテル、事務所、動物救護シェルター、そして仲間の家などである。助け合えるチームを作っておき、互いにペットのお泊りの練習を行っておく。いざという時のための「Action Card」(公益社団法人東京都獣医師会が作成した「ペット防災BOOK」に詳しく掲載されている)を作っておくとよい。そして避難所においては、フードの匂い、猫トイレの臭い、犬の体臭、抜け毛、排泄している様子、水場の排水溝に溜まったフードや抜け毛、鳴き声など、飼い主が気が付かないトラブルの元がたくさんあることを認識し、その対策を行う。フードの口はしっかり閉じることや器に残ったフードを放置しない、排泄場所やその処理場を決めておく、衣服の抜け毛はガムテープで処理する、飼い主同士で水場の衛生管理を申し合わせる、段ボールでの目隠し、炊き出しの近くには寄せないなどの対策がある。飼っていない人への配慮を普段から意識しておく。そして飼い主同士で、物資(ブルーシート、荷造り用紐、養生テープ、新聞紙、ペットシーツ、ウェットティッシュ、消臭剤など)を持ち寄り、ペットの居場所を養生したり、飼い主が協力して清掃を行うなど、避難所生活を過ごしやすくする。

飼い主名、避難場所、動物名、注意点を記載した飼い主カードを掲示することもよい。ペット嫌いの人は寄ってこないが、動物好きの方の場合は、勝手に触る、ケージを開けてしまう、食べ物をあげてしまうことがあり、カードはその対策に有効である。

平井先生は、「飼い主同士が助け合うことは、人の支援につながる。自身も復興のためのマンパワーとなり、自分の生活を立て直すために自ら動き始めること。自分の住む町を自分たちの力で復興させる気持ちで」と講演を締めくくった。