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公益財団法人 国際花と緑の博覧会記念協会は、2022年7月20日、2022年(第29回)コスモス国際賞の受賞者がバード大学教授のフェリシア・キーシング Felicia Keesing博士(56歳)に決定したと発表した。授賞式は11月9日に大阪市・住友生命いずみホールで行われる。受賞者には賞状、賞牌および副賞4,000万円が贈られる。
フェリシア・キーシング博士は生物多様性と人獣共通感染症病原体の伝播リスクとの関係を、実践的な調査研究により解明した。生物多様性の高い生態系はさまざまな病原体の温床となりうるが、総体としては感染症のリスクを下げうる希釈効果が存在することを示し、生物多様性が人間の社会にとって価値あるものであることを、明らかにした。
同賞は、花と緑に象徴される地球上のすべての生命体の相互関係およびこれらの生命体と地球との相互依存、相互作用に関し、地球的視点からその変化と多様性の中にある関係性、統合性の本質を解明しようとする研究活動や業績であって、「自然と人間との共生」という理念の形成発展に特に寄与すると認められるものに贈られており、1993年より続けられている。
発表された「授賞理由」と「受賞者コメント」は人がどのように人獣共通感染症の発生に関わっているか、生物多様性がなぜ重要なのかなど興味深い内容で、とてもよい文である。全文を紹介する。
§授賞理由
フェリシア・キーシング博士は、自然生態系を構成する生物の種多様性とそこに存在する人獣共通感染症病原体が人間社会へ伝播することのリスクとの関係性を、様々なフィールドにおける調査に基づいて研究してきた生態学者である。
近年発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の地球規模での感染拡大は、人類社会に未曽有の混乱をもたらし、生活や経済に莫大な影響を与えた。このような地球規模での健康上の危機を経験して、我々は、人間と野生生物との関係の在り方を根底から見直す必要があることを認識するに至ったが、博士は、自然生態系において、種多様性が減少することにより、新興感染症や再興感染症の脅威が増すことを早くから指摘してきた。
博士は、生物多様性の保全と人獣共通感染症病原体の伝播との関係を、ニューヨーク州などアメリカの北東部とアフリカのサバンナにおけるフィールド調査と室内での実験的な研究などを長期間継続することによって、病原体が種を超えて伝播する生態学的メカニズムにまで掘り下げて解明した。
多様な生物種の存在する生態系は、多様な病原体の温床となり得る半面、ある病原体に感染しない生物種が多数存在することで、その病原体の生態系内での増殖と拡散が阻害され、生態系内での密度が低位に保たれる(希釈される)ことによって、人など本来の宿主以外の種の感染症のリスクが総体として下がる場合が多いことを実証的に提示した。また、自然生態系に人間が侵入すると、一般的に大型哺乳類が減少するため小型哺乳類(げっ歯目、食肉目等)の生息密度が上昇するが、これらの動物は多くの人獣感染症の宿主でもあるため、人獣感染症の人への感染率が高くなることも示した。
博士は、これまで一貫して、保全すべき生物多様性の範囲と一義的な有効性を決定する単一の普遍的方法は、存在しないと主張してきた。そのような単一の解を求めるのではなく、さまざまな要因の複雑な関係、すなわち感染メカニズム、生息地の特徴、病原体の生態学的親和性等を綿密に調査することによって、はじめてそれぞれの地域に適した「生物多様性の保全がなぜ必要なのか」という問いに対する新たな視点と科学的厳密性に基づく解決策を見出すことができるというのが博士の見解である。
また、博士は専門家のみならず、非専門家であっても研究成果の論文やデータに容易にアクセスすることができる「オープンサイエンス」の推進者としての活動を活発に行っている他、同僚研究者らとネットワークを形成し、中学・高校から大学の学部生、大学院生に至るまでの若い研究者たちへの教育にも努めている。博士による学生や一般市民等とのこれらの関わりは、社会的にも重要な意味を持つものである。
博士の一連の研究成果は、すべての生命体の相互関係を解明しようとするコスモス国際賞の趣旨に合致すると共に、生態学・公衆衛生学に亘る学際的なアプローチは、今後の「自然と人間との共生」の航路を探るうえで、極めて意義深く、ポストCOVID-19 時代に必要な「ニューノーマル」の確立にも深く示唆を与えるものと思われる。
以上のことから、フェリシア・キーシング博士の業績はコスモス国際賞の授賞に相応しいと評価した。
§受賞者コメント
2022年コスモス国際賞を受賞し、たいへん光栄に存じます。本賞の目的および国際花と緑の博覧会記念協会の活動は「自然と人間との共生」に焦点を当てています。これは何よりも重要なテーマであると言えましょう。
色々な意味で、私が本賞の受賞者になれるとは思ってもいませんでした。私が生物学の研究を始めたのは比較的遅い時期からで、大学院に進学後も研究者として生きていこうとは考えていませんでした。さらに私は、大きな大学でなく小さな大学でキャリアを積んできました。しかし、このような通例とは異なる経験は、大きなメリットでもありました。学部生の皆さんと緊密に働くことが、常に私のインスピレーションの源となっています。おそらく一番大切なこととして、私の生徒や子どもたちが、彼らが受け継ごうとしている世界の現実に取り組んでいるのを目にする時、私たちが今行う選択が大きく問われているのだと強く感じます。
私が初めて本当の意味で科学研究に没頭するようになったのは、ケニアのサバンナで調査を行った時のことでした。この研究では、シマウマ、ゾウ、キリンなどのカリスマ的な大型哺乳類がいなくなると、サバンナがどう機能するのかを調べました。その結果、大型哺乳類の不在によって、げっ歯類のような小型哺乳類の数が膨れ上がり、他の影響も生じることが判明しました。例えば、増加したげっ歯類はアカシアの幼木の一群全体を食い尽くし、砂漠化をもたらす可能性があります。また、げっ歯類は毒ヘビを引き寄せ、人間に病気を感染させるノミの宿主となります。この研究を通して、サバンナに住む人々が大型哺乳類から受けている恩恵のいくつかを確認しました。それ以来、私はケニアとアメリカの協力者と連携して、人間と家畜および野生生物が同じ場所に暮らす際に得られる環境・経済・社会的な恩恵を明らかにしてきました。
合衆国において、私は同僚研究者らと一緒に、病原体―とりわけ人間の病気の原因となる病原体の出現と伝播に対して、生物多様性がどう影響するかについて研究を進めてきました。私たちはライム病に関する調査も行いました。これは世界各地でよく見られる疾病で、ベクター(感染症を媒介する生物)を介し人間に感染します。この研究により、ライム病原菌を媒介するマダニが生物多様性の高い生息地から来ている場合には、危険性が低い傾向にあることが示されました。生物多様性が減少すると、マダニが最も寄生しやすい動物が繁殖するからです。
つまり、多様な生物種が存在する自然環境は、多様性が低い場合に増殖する危険な種の影響が希釈されるため、人間を感染から守っているということです。現在では、このような希釈効果は、多くの人間・野生生物・植物の病気に関して生じていることが知られています。生物多様性の保全を行うことで、希釈効果による具体的で直接的な恩恵が得られるのです。
この数年、人類が新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)との闘いを続ける中、生物多様性と病気の関連がかつてないほど重要視されるようになりました。私たちが何十年もかけて築いてきた世界―人間の居住地が支配的で自然環境があまり残されていない世界―はまた、人間を病原体から守ってくれる可能性が最も高い種が絶滅に向かっている一方で、人間に病原体をうつす可能性が最も高い種が急増している世界でもあるのです。私の母国では、マスクやワクチンや治療についての誤った情報が、私たちの感染症予防力のみならず、まさに社会・市民機構をも破綻させる様子を目の当たりにしてきました。このような市民関与と科学の関連を認識し、私はバード大学の同僚たちと、主に大学生に科学的リテラシーを教えるための新たな方法の開発を、他に先駆けて進めています。これは大きな挑戦です。
楽観的な面として、パンデミックの最初の数カ月で、必要に迫られれば、私たちには容易に行動を改めることが可能であり、どれほど多くのイノベーションをどれほど早く起こすことができるかがわかりました。このことを忘れないようにしたいと思います。このたびはコスモス国際賞を授けていただき、深く感謝いたします。本賞の趣旨に沿いながら、今後も研究者としてのキャリアを重ねてまいります。